目を瞑るとメラビアンの法則はあてはまらなくなる
一般社団法人こどもカルチャーEducation.JPNの
松尾有輝子です。
アメリカでの暴動のきっかけ、どうでしょう・・・
キング牧師の「私には夢がある(I Have a Dream)」が
ふわっと浮かんで、涙がじわんと出ます・・・
人間のどこをみて関わればいいのか・・・
「いのち」をくるんでいる思考と身体
思考も身体も、いのちの、着ぐるみですよね。
人間は、一般的に視覚情報が優位ですから、着ぐるみで迷いが生じると思う。
そして歴史が、思考を惑わせます。
「いのち」をくるんでいる=個、の境に皮膚がある、だけ、、、なのに、暴動は起きた。
生命科学の視点から書かれている、
「生きて死ぬ智慧/柳澤桂子著/小学館」
なのだけど、
存在するものは「粒子」でできていて
全ては粒子の細かさの違いで、つまりは繋がってると解説されています。
個に視えても繋がっている、なのに、惑わされる歴史、引き継がれてしまう歴史。
どうすればリセットできるんだろ。
着ぐるみを視覚で捉えてみると
例えば、同じ形で、同じ素材なのに、
有名キャラクターのイラストがついたお弁当箱と
なにもついていないお弁当箱
どっちにしようかなって思う。
わたしは、くまの学校のジャッキーが好きなので
ジャッキーがついていたら、目が行きます。
なんて愛らしいのかしらと見惚れる。
着ぐるみが、
くまモンだったら(くまモンとヨーガのプログラムを伊藤講師がご一緒したし)惹かれるけど
ふなっしーだったらあまり惹かれない・・・ごめんなさいね、ふなっしー。
鮮かに映し出す、明らかにする、という点で、
視覚は不可欠な五感で、情報集約されていると理解はするけど、
視たことで惑ってしまうことは、否めない・・・ってか、それがメラビアンの法則。
着ぐるみをみないと面白い感覚になります
一瞬、
あー腹が立つわ。
あーどうしてそうなの。ため息・・・
あー付き合いきれないわ、ぷんぷん。
あーなんて悲しいこというんだろ?(‘_’)シクシク
とか、ありますよね。
先入観や固定概念やらというのは、思考に寄るものだから
目をとじて感覚を研ぎ澄ますと着ぐるみ(先入観や固定概念やら)を
意識が行きにくくなる・・・
いのちがどんな色をしていて、どんな形なのかっていうと、
わかりませんが(体験から様々な表現をされる方はたくさんおられますね)
着ぐるみ観ないと、スケスケ?
メラビアンの法則があてはまらなくなる
目を瞑ってみると、少なからず、メラビアンの法則とは違ったことになる。
透過55%。
着ぐるみの奥の「いのち」を一瞬でも感じた間に、なんというか、、、わかる。
まったく気にならなくなる世界を感じた時は、とっても面白い。
思考はすっ飛んで、スカッとみえてくる(これ、見る視る観る?)。
ヨーガを日々実践している皆さんは、
着ぐるみにとらわれない。突っつかない。透過済。
これが自然に備わっているようだと、関わる端々に感じます。
透過?そもそも着ぐるみは問題ではない?
こどもたちは、「そこ」に引き寄せられるんだと思います。
「そこ」を知っているってことかな。
「そこ」って、いのちさんかな。
そして、、、
その思考や身体という着ぐるみの奥の、「いのち」を共通項として
キング牧師の夢も語られている。
読むたびに(聴くたびに)
わたしたちは、優劣の差など本来はない存在だよね、って、人類のいのちの源泉から湧いてくる確認の
言葉のように感じます。
どうか、
どうか、子どもたちのいる場所の平穏が守られますように。
(注意)”着ぐるみ”は、松尾のイメージした表現ですが、
ヨーガでは五蔵説といって層が分けて理解され最も内側が「アートマン」といわれるそうです。
こどもへのアプローチを理解するときにわかりやすいなぁと思います。
保育とヨーガ療法~子どもヨーガ実践からの考察/伊藤華野
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