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「意見表明」その前に① 大切な「わたし」の意見に耳を澄ませてみませんか 

大切な「わたし」の意見に耳を澄ませてみませんか

意見表明、その前に、大切な「わたし」の意見に耳を澄ませてみませんか?
「ど~んなかんじがするのかな♪」
「じぶんさ~んが、何ていってるのかな?」
これらは、『まねまねヨーガ』筆者=伊藤華野がこどもたちと行う『まねまねヨーガ』でいつも投げかけている言葉です。

もちろん、こうした投げかけで、こどもたちの一人ひとりのカラダの細胞が急に言葉をしゃべりはじめたりしたら、果たしてどうなることでしょう。カラダじゅうから様々な音やリズム、香りや色までが発生して、皮膚がぴかぴか黄色く光る、斑点がでるなど、おそらくカオス(混沌とした状態)であり、想像するだけでも「おおごと」とになってしまいます。

けれども、その実「おおごと」になるほどに、自分のからだのカンカクは、内外からの刺激による表出を、カンカクとしてのサインを、きっと出しているはずなのです。暑い、寒い、お腹空いた、頭が痛い、などカラダのピンチ時のみならず、心地よい皮膚への温度、適度な満腹、すっきりした頭、など、快適なカンカクのサインも含めて。ただ、次に次にと忙しい日々の生活の中で、私たちは自分のカンカクから来る情報に耳を澄ませる時間をとることが難しくなっているのです。

しかしながら、こうしたカラダのカンカクやカンカクの記憶からつくられるカンジョウが、私たちがカンガエた挙句に発する言葉による「意見」に影響を与えないのかといえば、おそらく否という答えが戻ってくるのではないでしょうか。平素は無視をしたり抑圧をしたりしていた「カンカク」や「カンジョウ」が、不意に突如として現れて「カンガエ」を飛び出して顔が赤くなりイカリの言葉を発されていたり、逆に言葉に詰まって何もいえなくなったり、という体験は誰にでもあるのではないでしょうか。大切な「わたし」の意見を総合的に捉えてカンガエて言語化するためには、わたしの「カンカク」や「カンジョウ」との関係を蔑ろにするわけにはいかないのです。

絵本『まねまねヨーガ』は、平素ついつい「関わるのが時間の無駄だ」と無視され勝ちになる、自分自身のカンカクやカンジョウからの情報に「耳を澄ませる時間」を提供するものとしてつかうことができるのです。

夢見のポーズ

次回に続く

 

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